いなフェス 稲作アートフェスティバル
の田植え祭りに参加してきました。
田植えは初めての体験。
到着すると、その時間にはまだ人が揃ってないのもあり、
主宰の木歌さん(鵜野 牧子 さん。岐阜生まれの歌い手さん)のお話し聞きながら、その日に田植えをしない別の場所の田んぼを案内してもらいました。
車で田んぼを通る時は同じような田んぼの景色の連続だと思ってたけど、近くを歩いて通ると広がってる音が違うのに驚いた。景色も、空気も、全然違った。
「土地は生きてる」
「大切にすると土地は生きる」
と、この時におっしゃってたのが心に残った。
田植えは、
稲を三本(以上)ずつ植えるんだけれども、一本は動物に一本は大地に一本は人間にという意味があるのだそう。
田植えがはじまると、国内外で活躍している素晴らしいパーカッションの方々の音楽。
リズムが流れると、雨と共にいくつもの景色が降り注いでは消えて行った。
大地も、田んぼに住んでる生き物も、近くにいる虫や鳥、今目に見えないものも全てが一緒にあるように感じながら、
確かに体を動かして田植えをしている現実をしっかり生きながらも夢を生きているような時間を過ごせました。
最初に聞いてた、
『土地が生きている。』
という話。
田植えをしてやっとわかったの。
私は土地の呼吸を確かに感じたの。
私は神奈川や東京で生活している時には、
“ヒト、モノ、コトに感謝する”
というのを大事にしていていた。
周りにもこの言葉を使う人が何人もいたと思う。
でも岐阜にきてから
“ヒト、モノ、バショに感謝”
ということを言葉にする人に何度か出会った。
それを聞いたときは、バショというのがなんだかしっくりこなくて、そこまでピンと来ていなかったのだけど、田植えを通してバショに感謝するということを深く感じることが出来た。
都会はとてもお店も景色も移り気が早いし、その土地を深く感じる時間も日常にはなかなかなかったんだなぁということに気づいた。もちろん地元の横浜という土地は今でも大好きだし、地元愛もある。でも大地を、土を踏みしめる足から感じるということは初めてだったかもしれない。
人間の本来の生きものや大地と共に生き、バショを大切にするということを今回深く感じた。
岐阜には、
場所を大切にする。
土地を大切にする。
この思いや意識が自然に受け継がれ根づいているのかもしれない。
私が岐阜という土地に最終的に決めたのは、とある村の神社に出会ったからなの。自然や建物など古いものがとてもよい形で受け継がれていて、そこに脈々と流れる日本の血を感じたの。この土地で色々な人に出会いたいと思ったんだよね。
最近は、身軽になって旅するようにアーティスト活動することを目標にしてきたし、いつでも何か失うものを恐れたくないと思ってたけれど、
地球と大地と深く交わることや、感じることも、今の私にはとても大切にしたいことなのだと感じた。
このイベント心動かされたのは田植えの作業を通してだけじゃない。
この、いなフェスといのは11年続いているそうなのだけど、ドネーション形式でやっていて愛の循環で回っていく社会を体現されていたの。
木歌さんから、お話しを聞きながらとても感動した。1日を通してその場所に巡る愛も体感もした。
コロナ流行に始まり、急速に変わり始めた社会。
何度となく、「日本はこれから良い方向に変わっていく。」と語る人の話を聞いたけれど、愛が循環し広がっていく世の中を自分の頭の中で、初めてしっかりと現実的に想像できたの。
そして自分の生き方もそこに向かって進んでいることを確信しました。
素晴らしい出会いと、愛の時間、ありがとうございました

